ゲームやスポーツ観戦などのエンタメ利用から、テレワークや会議サポートなどのビジネス利用まで、多様な用途での活用が進んでいるAR/VR技術。技術そのものの進化もさることながら、5GやIoT機器の普及などといった周囲の環境整備も相まって、さまざまなシーンでの活用と社会実装が進んでいるといえます。
今回は、製造業を中心とするモノづくり産業で深刻化する技術・技能伝承において、活かせるAR/VRについて解説します。
技術・技能伝承とは

そもそも「技術・技能伝承」とは、これまで培ってきた技術や技能を次の世代となる後継者へと、組織的に伝達して受け継がせていくことを示します。ここでいう技術や技能とは、具体的には人のオペレーションに関わるものが多分に含まれます。
極端な例ではありますが、たとえば伝統工芸品の職人が属人的にもっている固有のスキルを、持続的な工芸品製造のために可視化して後継者となる人物にスキルトランスファーしていくことは、技術・技能伝承のわかりやすいあり方だといえます。
もちろん、上述のような伝統工芸品のみならず、工場や塗装業、建築業などにおける専門的なオペレーションなど、企業活動を進めるうえで必要な技術・技能は、後続世代への伝承の対象となります。
なぜ今、技術・技能伝承が課題なのか
では、なぜ今、この技能・技術伝承が課題となっているのでしょうか。以下、大きく3つの要因が考えられます。
現役熟練工の引退にともなう人手不足
中小企業庁が2019年11月に発表した資料によると、2025年までに、平均引退年齢である70歳を超える中小企業・小規模事業者の経営者は約245万人となり、うち約半数の127万は後継者が未定とされています。
このような状況は製造業に特化してみても共通しており、高い専門性を有する熟練工は次々と定年退職しています。一方で、労働人口の減少やミレニアル世代およびZ世代における就労嗜好の変化によって製造現場の採用難も加速しており、せっかくの技術・技能の継ぎ手であるセカンドジェネレーションがみつからない問題が各所で顕在化しています。
マニュアル文化が薄い&作ってもなかなか活用されない
「仕事は先輩の背中をみて覚える」
そんな考え方が、製造の現場では長らく重視されている傾向があります。もちろん、座学による最低限の知識インプットが必要な部分があるものの、多くの技術やノウハウは「見て盗む」ことが、職人の現場では常識となっているケースが多いのも事実です。
よって、マニュアルを作成して技術や技能を標準化する文化が薄い領域であり、また作ってもなかなか活用されないことにもなるので、結果として属人性が残り続けて、職人が退職すると同時に技術・技能も残らないことになってしまいます。
もちろん、言葉として明示的にドキュメント化するのが難しい技術が多かったり、また実際に作ったとしても使い勝手が悪いので結果としてマニュアルが使われなかったり、といった要因も考えられます。
若手と熟練工のコミュニケーション不足
さらに、若手と熟練工とのコミュニケーション不足も、技術・技能伝承における大きな課題になっています。丁稚奉公のような師弟関係に抵抗がない熟練工世代と、そのような関係に抵抗があるミレニアム世代およびZ世代の根本的な価値観の違いから、コミュニケーション齟齬が発生するケースは多いといえます。
古くから技術・技能伝承で活躍してきたVRシステム
このような製造現場における課題に対して、VR技術は早い段階から技術・技能伝承教育に応用されてきました。以下、技術・技能伝承対策として実際に活用されているVRソリューション例を紹介します。
溶接シミュレーター「VRTEX 360」
画像引用:Lincoln Electric「vrtex-ENG」
米Lincoln Electric社と米VRSim社が共同開発した「VRTEX 360」は、従来よりオフラインで行われていた溶接工訓練法をVR空間上で実践できるVR溶接シミュレーターです。すでに10年以上活用されているものです。
溶接技術を習得するには、これまで膨大な時間と労力、および消耗材を使っての技術訓練が必要でした。つまり、訓練する側だけではなく、させる側にとっても費用含めて様々なコストがかかる状況がありました。
これに対してVRTEX 360は、溶接用のヘルメットに組み込まれたHMDの他に、実際に使うものに酷似させた溶接ガンやスタンド、そして作業確認のためのディスプレイなどがあらかじめ設置されているので、材料の浪費という課題はもとより、オフライン訓練で指摘されてきた安全面への課題にも対応しているといえます。
なにより、これ一台でシールドメタルアーク溶接やガスシールドアーク溶接、多電極サブマージアーク溶接など、さまざまな溶接技術を習得するための包括的なカリキュラムが組み込まれていることも大きいといえます。
建機操縦シミュレーター「Universal Motion Base Simulator」
画像引用:Serious Labs「Universal Motion Base Simulator」
カナダのSerious Labs社が提供する「Universal Motion Base Simulator」は、汎用的な建機操縦ハードとVR-HMDを活用して、フォークリフトなどの乗り物訓練を行える建機操縦シミュレーターです。
各種コントロールポッドやペダル、ステアリングコラムなどは交換できるように設計されているので、さまざまな着席車両シミュレーションソフトウェアに対応するようになっています。
従来のトレーニングだと実機で訓練する必要があったためコスト負担が大きかったわけですが、本製品の登場によって、リアルなVR空間上で訓練を進めることができるようになりました。
同社ではこの他にも、汎用的なクレーン操縦ハードとVR-HMDを活用した「ITI VR Crane Simulator」や、同じく汎用的なリフト操縦ハードとVR-HMDを活用した「MEWP VR SIMULATOR」など、多様な建機操縦シミュレーターを通じて製造業における技術・技能伝承課題に対応するソリューションを提供しています。
ARも技術・技能伝承に適している理由

ここまでは主にVR技術を活用したソリューションについて見ていきましたが、技術・技能伝承対策としてはAR技術の活用も期待されています。以下がその主な理由となります。
認知の障壁を克服する
従来の紙や動画によるマニュアルだと、機器の組み立てやメンテナンス、フィールドサービスの運用などの実践的なスキルに関する理解を進めることは困難で、多くの認知的努力が必要でした。またVR空間の場合、機器や環境を精密に再現することに対するコストが大きく、また動作に対応するアクションの設計等も大変です。
ARを活用することで、従来からある認知の壁を克服し、リアルな空間での円滑なスキル習得を可能にするでしょう。
リアルなOJT形式での訓練が可能
上記に付随して、OJTのような変動性の高い訓練における活用でも、ARの活用が期待されています。従来からのOJTでは、教わる側と教える側の両方が現場にいる必要がありましたが、たとえばARグラスによる遠隔指導ソフトウェアを活用することで、教わる側だけが現場にいて、教える側は遠隔から指導するといった方法が可能になります。
コロナ禍から加速化したニューノーマルへの対応を進めるにあたって、OJTのような「現場感が特に必要な領域」での教育にARは大いに活用できるといえるでしょう。
一人ひとりが現場で培った経験の賜物を適切に伝承しましょう
以上のとおり、製造業をはじめとするモノづくり現場では、ARおよびVR技術を活用した教育の設計が、技術・技能伝承に関する課題解決策として有効だといえます。 日本が誇る技術および技能は、一人ひとりが現場で培った経験の賜物です。そのような貴重な資源を無駄にしないためにも、最先端技術を活用した適切な「伝承」を行っていくことが重要です。